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* 不定期連載「まるみが行く(福の神丸編U)」 *
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『夢』 現実と非現実の狭間。鳴るはずのアラームと鳴るはずの無い着信音。自分の居場所さえ判らない状況にただ戸惑うばかり。急いで支度をする自分と夢の中の自分。焦燥感。
『師』 師と仰ぐ人は居る。ただし、口にはださない。自分の中では師匠と呼ぶのは一人だけなのだから。あえて師匠と呼ぶならこの釣りを自分に教えてくれた喫茶店のマスター。17年前、福浦で黒鯛を釣り始めて最初に教え受けた人。
釣技でも理論でもない、ただ一言「ウキ外してみたら」。
人の言うことが聞けないほど自信過剰ではないし、自分に自信はない。しかし、師と仰ぎ全てを模倣するには長くこの釣りをやり過ぎているかもしれない。
中京の名人。縁あって同行させて頂いた。初めての釣り場でも魚のいる場所を的確に嗅ぎ分ける。海中の状況が判るかのような微妙なアタリへの対応。まさしく名人。
富岡堤防の短竿師。一緒に釣りをしたことは無いが、話をしているだけで感じられる、釣りに対する姿勢、情熱。
同好会にも居る。入会してから多くの人の釣り姿をみて、話を聞いて、変わっていく自分。
そして中央防波堤の名人。卓越した竿さばきは、もはや芸術の域に達しているのでは無いだろうか。唯一プロの黒鯛師。
彼らのことは心の中で師と仰ぐ。
『浮気』 願望が無いわけではない。ただし、妻が居る。生涯を共にしようと決めたのだから。その気持は15年経った今も変わらない、更に深まることはあっても。
ルールはある。夢の中でなら許されるのだろうか?
既にバトルのゴングは鳴っている。黒鯛は釣りたいが、何が何でもという気持ではない。福浦に拘っている訳ではないのだが、ルールはある。
『浮遊感』 地に足が着いていない感覚。まるで船の上に居るような非現実な世界。そして既視感。以前にも、ここでこうして釣りをしていたかのような感覚。
やはり夢の中にいるのだろうか。
『アタリ』 この釣りの全て。いかにして引き出すか、仕掛、ポイント、餌、落とし方。そして、いかにして取るか、対応できるか。
フッコは釣れる。大きさではない。この釣りで釣れるのは全てフッコと呼んでいる。軽蔑しているのではなく、感謝と敬愛の意を込めて。
三人で50s超というのが多いのか少ないのか。「止まり」、「引き込み」、そして「クン」と言う明確なアタリ。
釣りは理論だけでは無い。糸ふけの変化をいかに見逃さず対応できるか。慣れと経験が絶対に必要であると思う。
夢の中にもかかわらず、手のひらに残る傷跡。不用意に針を外そうとした報いか。鋭い鰓と流れ出る血。
『黒鯛』 餌もポイントも変える。プロの指示。海の上では絶対的なもの。
時間は限られている。同行者は949目黒店のシェフ。前向きな姿勢。若いのに苦労を厭わず、師と仰ぐ店長への忠誠。そして、その店長の好意でランチを休んでまでの釣行。時間までには帰らなくてはならない。
ヘチぎりぎりに落とす。濁りがあれば警戒はしないが、澄んでいればわずかな着水音で逃げてしまう臆病者。
スッと糸が入る。反射的に聞きの動作に入れる。生体反応、そしてアワセ。強すぎず、沖に向かって竿を倒す。
フッコとは明らかに違う反応。力強く下へ、更に下へ。目一杯差し出す腕、海面に突き刺さる竿。少しずつ出て行くライン。ハリスは万全である。常にチェックは怠らない。それでも障害物の無い沖でのやり取り。慎重すぎるくらい慎重なやり取り。ただし、テンションは緩めず、架け過ぎず。
やがて上がってくる魚体。躊躇なく差し出されるプロのタモ。50cm丁度、夢の中では何度も出会っているトシナシ。やはり夢の中なのだろうか
更に落とし続ける。半ヒロでの止まり。雛壇に餌が乗ったときとは明らかに違う、音が聞こえるようなビタ止まり。ここでも反射的に聞きの動作。午前中のフッコでの練習。成果。
二枚目でもある。また、一回りサイズが小さいからか、余裕を持った対応。
ここでタイムアップ。黒鯛を狙った時間は一時間足らず。二枚の釣果は出来すぎか?
ただし、夢の中。決して浮気ではない。夢の中、夢の中、夢の・・・・・
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